Last Edited: May 25,1998.    kajiyama

見ている世界と主観的イメージ・客観的イメージ

梶山 喜一郎


    目 次

1. Seeing 見るということ
2. Subjectivity 主観的イメージ
3. 見ている世界の発見 −− 装置が見た世界
4. Objectivity 客観的イメージ
5. Representation イメージの再表現
6. 視覚的イメージの世界観


1. Seeing 見るということ

私たちは、いつも目で、何かを見ています。
目は、恋人や物や風景をみて、私たちにつぎの行為を示唆します。
あなたが何かを見れば、あなたの脳の中に見た物が像(イメージ)として創造されていきます。
脳の中の像は、あなたが一瞬目を閉じても、あなたには理解できるはずです。

2. Subjectivity 主観的イメージ

では、あなたを見ている隣の恋人が、一瞬一瞬その脳中に創り出しているイメージはどのようなものでしょうか。あなたの像かそれともとうりすがりの超!美男美女か。
それを尋ねたとしても、恋人はうそをついたかも知れません。
同じように、あなたが見て脳に描いている像は、あなたの恋人も知ることができません。

あなたは、恋人が描いている像を勝手に決めて信じ込むこともできます。これを妄想といいます。

このように、人間が脳の中で作り出したイメージは、だれも知ることができないものです。
このことを主観的といい、観察者の主観的イメージと観察者の目の向こうにあるさわれる物理的な世界とを区別することができます。

人間は観察により主観的なイメージ世界をつくりだすことができます。
これには仕事や出世に結びつくものや、不道徳、不健康な主観的イメージがあります。またこれらの主観的なイメージをもつことは人間として許されています。なぜなら、だれも知ることができないからです。
観察者の脳をスライスして調べても何処にも主観的なイメージ世界はみつかりません。
しかし、不道徳なことを実際におこなえば、法律と世間の評価が待っています。

人間が見ている世界はどのようなものでしょうか。
私の見た像はわかるが、あなたの見た像はわからない。
これは人間が見ている像は、だれも知らないと同じことになります。

見た風景を絵にすれば、他人はそれを知ることができます。
しかし、3人の友人が同時に、風景を同じ場所で描いたとします。
3人の絵が全く同じになることはありません。
山の高さも、木の高さも違うでしょう。峰の位置や、木の数も違って描くでしょう。
家に帰って、他の人にどの観察者の絵が正しいものか判断させてください。
観察者の絵から物理的にある風景の正しい姿を知ることはできません。

同じように絵の専門家たちが描いた絵が正しいとは限りません。殿様と家臣たちの肖像画があります。
もし画家が家臣の顔を殿様より大きく描いたならば、無礼打にあったかも知れません。
肖像画の中の顔の大きさは実際の大きさでなく、身分の違いを表したものかも知れません。

3. 見ている世界の発見 −− 装置が見た世界

人間が直接ものを見ている限り、見ているものが何かを他人に伝えることが出来ませんでした。
人間が見ている世界を客観的に知るためには、装置の発明が必要でした。
カメラあるいは針穴写真機のような装置により、人間は見たものを初めて客観的に知るようになります。あるいは他人が見ている世界を知ることができるようになりました。
カメラの先にある世界は、ガラス板や壁のスクリーンに物理的存在する画像として映し出されます。
この画像は、見る人によって変化しませんでした。装置をとうして、だれもがもいつも同じ画像を見ることができました。

カメラ装置により、見たものは画像として固定することができるようになります。
ヨーロッパの17世紀、18世紀の頃、この見ている世界の画像による発見がおこなわれました。

この発見のおかげで、私たちは他人が見ている世界を信じることができるようになりました。
カメラの画像と同じ世界を私たちは見ていると。
画像をとうして、あなたが見ている主観的イメージを説明する場合もでてきます。いいかえれば、装置がつくりだす客観的イメージに、自分の主観的イメージを合わせようとする人々もでてきます。

4. Objectivity 客観的イメージ

だれもがカメラなどの装置をとうして同じ画像を見ることができるようになりました。
このおかげで、同じものを同じ像で見ることができるという信念を、人間は持つことができるようになりました。
人間は、湾岸戦争のドキュメンタリの映像に共感を持ったり、探査衛星から送られる惑星の画像を信じることができるようになっています。
さらには、映像の独り歩きが社会問題になったりもします。

脳に創られる見えた世界の主観的イメージに対して、見えた世界の画像を客観的イメージとして区別します。
私たち人間は、主観的イメージの世界と客観的イメージの世界、そしてそのイメージのもととなる物理的な世界を区別することができるようになりました。
イメージをコントロールできる時代になったわけです。
この授業は、イメージをコントロールする側に立って進めていきます。

5. Representation イメージの再表現

脳の中に創られた、主観的なイメージを、直接他人に見せることはできません。じつは、像を創っている本人にも不鮮明な場合があります。
このイメージを他人に伝えるために、本人が主観的なイメージを脳の外にもちだすしかありません。
脳で一度創られたイメージを、再度表現(Re-presentation)する作業が必要になります。
このイメージを再現する手続きとして、言葉、図形、記号などの形式を人間は歴史的に創り出してきました。
エジプトの風景を、作家は文章をもちい旅行記にします。詩人は言葉で悠久の風景を表現します。
画家は、この風景を水彩画に描きます。写真家は、撮影のタイミング、フィルムやレンズの種類、絞り、シャッタースピードをとうして表現します。
物理学者は宇宙の風景を数式で表現します。

人間が見たもの、考えたもの、あるいは脳で処理されたものは、このようにして他人の目に触れることができるようになります。
このように、人間は、創った主観的イメージを再度表現する行為をとうして客観的イメージを創り出します。

現在の人間は見ているものの全てを再度表現できる、能力を身につけてはいません。
見て住んでいる世界は同じなのに、文学者や社会学者、理学者、工学者、医学者、法学者、歴史学者・・たちがいるように、同じものを見ていても異なった観点から世界を見ています。
歴史的には、それぞれの専門分野で、見方やその表現の仕方が独自に進化してきました。

このグラフィックスの授業では、見ている世界の中にある図形の世界に話題を限定して話を進めていきます。
人間は世界を図形でどのように見ているのか、図形の世界をどのように再度表現しているのかが、この学問の対象です。図形や図形の表現のの知識を利用して、グラフィクスの技術を歴史的につくりあげてきました。

6. 視覚的イメージの世界観

人間が見ている像がどのようなものかは、いまだにわかりません。
脳が、目の前の世界を見るためにどのようなことをしているかは、最先端の科学です。

このような17世紀、18世紀の歴史を経て、見た世界は、カメラのレンズと画像の関係で理解するという世界観が主流です。
この考えかたはいつまでも正しいのでしょうか。
授業ではこれら考えを打ち壊す事例を検討してきました。
現在の科学では誤りです。このような観念は、だれもが同じ画像を見ているという信念をつくりだしはしましたが、主観的イメージがどのようなものかの問には答えていません。問題のすり替えをしたにすぎません。

目の中の水晶体の裏側では確かにカメラ装置の原理がなりたちます。
しかし網膜に写った像は、フイルムのように全ての面が均一に鮮明な画像ではありません。
若者と網膜が老化していく年寄りでは、網膜で感じる画像は異なっています。年寄りと若者では見えるイメージも違います。

網膜像が視覚情報として視神経を伝わり脳の各部で処理されます。
脳には、水平や垂直の図形の特徴を識別する細胞があります。この細胞に障害が起これば、網膜までは見えていた画像が脳の中では見えなくなります。


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